第 3回 東洋の神秘

[2001/02/11]

「東洋の神秘」という言葉がある。私はこの言葉が好きだ。
科学では説明のつかない(いや、正確に言えば自分の持てる知識では説明のつかない)
事柄に対して、言いようのない摩訶不思議さをあらわすのに最適だ。

といえば聞こえがいいが、本音は「逃げの一手」なのである。
訳がわからないこと、自分の知識では答えられないこと、さらには答えられるけど
答えたくないもの、などその用途は広く、

「○○ってどうして?」

ときかれたら、「東洋の神秘だね」と答える。
これで少し「笑い」がとれ、かつ、答えを逃げることができる。
そして、その話題の発展を打ち切り、別の話題へと振ることができる。

ただ、注意点がある。「東洋の神秘」というからには「西洋の神秘」で
あってはいけない。「東洋人(ここでいう 東洋人はほとんどの場合が
日本人)の感性」でものをとらえられるものに一応、限られるのだ。

それにしても、「神秘」という言葉はどこか魔性的で、それでいてあまり
宗教的でもない。何を言いたいのか分からなくなってきているのが既に
「神秘」なのだが(ここでの使用はちょっと間違っている気もする)、人間は
非科学的な現象に対しては無力化する。そんなある種の催眠のような効果が
この言葉が持つ響きなのかもしれない。

そもそもこんなコラムを書いていること自体、なにか訳のわからないものに
駆り立てられているのである。


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